【映画】 かぐや姫の物語 / 高畑 勲
かぐや姫


「風立ちぬ」を劇場に見に行った時予告編を見て、その絵に絶句というか、え!?なにこれと思って、気になっていた作品。

僕はジブリの映画はほぼ全部見てると思うんですけど、誰がどうのとか、ジブリそのものについては詳しい訳ではなかったのですが、最近ネットで勉強していろいろ知って、本作品は高畑勲さんのそれで、恐らくは最後の長編作品になる、て事みたいなので、行ってきました。

風立ちぬ(宮崎駿さんの作品)を見た後は、なんやこれ?と、汚物を口に詰められたような気分で、二度と映画なんて行くかクソが、という気持ちになりましたが、

本作品は、本当に素晴らしかったです。凄かったです。

見に行って良かった。。

その凄さをどう表現しよう。

例えば、このエントリーの冒頭に載せた画像というか絵って、色もタッチも、1つの作品、要は絵画ですよね。これだけで絵はがきだったり手ぬぐいだったりに出来ますよという。1枚で成り立つという。

一方アニメって、輪郭をはっきり1本線で書いたり、色もべたっと塗りつぶしたりして清書した、単純化された記号の様なリピート可能な絵が、いっぱい連続で動く事で成立する、という世界ですよね。1枚1枚が決して絵画ではないという。当然そりゃそうなります。1枚1枚アナログに書き込んでたら、いつまで経っても出来あがらないですし、成り立たない。

本作品は、その成り立たない、をホントにやりやがった!という作品です。めちゃくちゃです。

だから、いわゆるアニメ、ではなくて、人類初の別の何かという感じ。

こういう無茶苦茶は、いくらコツコツとした仕事が売りの日本人でも、もうきっとやらないだろうし、出来ないだろうと思います。

しかも、ほんとに「しかも」という他ないんですけど、ジブリのアニメはだいたいセル画15万枚とかだそうですが、本作品は50万枚だそうです。めちゃくちゃだ。アニメ映画1本に8年かかったというのもめちゃくちゃです。アニメーターでなく、イラストレーターでないと書けない絵ですので、物量的な人数の割き方が出来ず、少人数で地道に作るしかないからこんな年数がかかったんだと思います、たぶん。

きっと何百年も先に、希有で唯一の芸術作品として、世界の文化遺産として、バイブルみたいか異形だったりかは分からないけど、とにかく評価されて残ってくんでないかなと思います。

奇跡の作品だと思います。

勿論、一般の人にとっては

「なに?今さらかぐや姫?てか線いっぱいなんだけど作りかけ?てか地味。」みたいになる事は明らかだったので、きっと大赤字でしょうし、酷い評価書く人、いっぱいいると思います。

それはそれで仕方ないです。きっと未来が価値を決めてくれます。

僕はBlu-rayプレーヤーを持ってないので、買えないですけど、もし持ってたらディスク買ってた。もう一度、コマごとに止めて、見たいなあ。

生きてる間に、こういうスーパーな映画をリアルタイムで見れて、幸せに思います。



ただ、完璧さに水を差すというか、この点はダメだった、と思う事もいくつかありましたので、書きます。


<ワースト1>

声優の地井武男さん(かぐや姫の育ての父役)の演技

オーバーアクションが酷過ぎて(簡単にいうと、ことあるごとに大声、声を裏返す、常に必死、という演技)、穏やかな色彩の本作品に大きく水を差すというか、静かな作品に、大衆演芸の時代劇役者が入り込んだみたいな感じで、だいなしでした。


<ワースト2>

お婆さん役の立ち位置の違和感

宮本信子さんの演技自体はとても素晴らしかったです。お婆さんの位置づけが問題だ、と思いました。かぐや姫の気持ちを無視して突っ走るお爺さんに対して、それをたしなめたり、お爺さんよりも冷静で、出来たお婆さん、かぐや姫の気持ちに寄り添う、という立ち位置。現代ならそういう母親像も当たり前ですが、当時は(どころか現代以外の全ての時代は)そうではなかったはず。男尊女卑だったと思いますし、もっと盲目的に権威や父性に対して従属して黙していたのが当たり前で、そこを現代風に歪めて描くのは、おかしすぎると思います。母性という点についてはいつも思うのですが、ジブリの人の女性の描写は、マザコン的というか、子供というか、中2というか、常に歪んだ視点(要は宮崎さん高畑さんの個人的な、一般的ではない歪んで未熟な男の子供目線からの理想像を作品に投影する)で気持ち悪いです。作品のディテールに対する厳しさ誠実さを、女性のコンセプト部分にも客観的に適用して欲しいなと、これは、いっつも感じます。


<ワースト3>

久石譲さんの音楽

飽きました。ジブリ=久石さん、はもういいです。もちろん彼のせいではないです。イージーに彼に頼りすぎです。本作品はチャンスだったと思うんです、彼を断ち切る。琴とか琵琶で構成したり(和楽器)、バイオリンだけだったり(引き算の音楽)、この絵だからこそ出来た全く違うアプローチがあったはず。音楽については、トライしなかった分それそのままで、何のイノベーションもケミストリーもない既存の(=そういった意味ではありふれた)もの、という大変勿体ない結果となったと思います。何度もいいますが、久石さんの責任ではないですけど。


<ワースト4>

現代的な恋愛要素を足した?要らない。

ワースト2と、コンセプトとしては同じ意味です。恋愛して空飛んでましたけど、ああいう登場人物は元のストーリーにはなかった?ですよね。要らないです。ああいう感じは明らかに現代の感覚ですし、さらに言うと、高畑さんの中2病的感覚です。主人公に感情移入して物語を改ざんというか介入するなんて、しかも超古典なのに言語道断と思います。原作に対する謙虚さが足りないのでは?と思いました。
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2013/12/28 | お気に入り…こと | コメント:0 | トラックバック:0____
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