【小説】 1Q84 / 村上春樹 (新潮文庫)
村上春樹。

多分小説もエッセイも童話もその他の出版物も、彼の著した本はほとんど全部読んでいると思います。

ファン?恐らくそうなんでしょうけど、僕にとっては昔から馴染みの作家さんで、他の小説、作家さんと違って、その時々の暮らしの中で自然にすとんと収まって(読んで)来た感じで、音楽でいうと、別に特別好きではなくても当たり前みたいに耳に入ってきたビートルズやマイケルジャクソン、Oasisの曲みたいな感じというか…。

とはいえ、文章は、小説は音楽のようにどこかで無料で聞けたり、自然に耳に入るみたいな事はないですので、いちいち買うわけです。

また、僕は本だけは、本以外のフォーマットが耐えられない人間です。たとえば電子ブックなんて論外で、コンピューターの光る画面を見つめていられるボリュームなんてせいぜいニュース記事くらいで、それ以上は苦痛で無理です。また、ページ繰りとか、本(紙の束。綴り)が持つ独自の物理的特性、例えば、だいたい20ページ分くらい飛ばす、とか、お話の約半分を飛ばすなどという様な当たり前の操作や把握の感覚。あるフレーズやタームの場所を直感的経験的独自につかめる感覚(これくらいの厚みのところに書いてあった、とか、あのコーヒーのシミのあるところ、そのシワが入ってるところ、など)は、その本とそのオーナーだけが持つ、オンリーワン、1対1のシンクロ、は、多分コンピューターには到底実現出来ない次元で、電子ブックなども現在のPCフォーマットでそれを達成する事はないと思っています。文字の集積や物語を物理的に触る、その全部を、部分部分を、自分でコントロール出来る。自分の購読時の思い出と一緒にシンクロしてそれを物理的にページと脳に刷り込む(コーヒーこぼすとか、炎天下で読んで本がカピカピになるとか、またそれを頭で記憶する、そういう事です)。そういう喜びは、本というオリジナルのフォーマットでしかあり得ないんですが、そういう事を分かっていない人が多くてビックリしますよね。フィルムカメラ→デジカメとか、レコード→CD でも、違うけれど、その100倍次元が違う、肌の感覚レベルの深いアナログなもんなんですけどね、本って。

…。完全に、もう完全に、話がそれました。

で、だから僕は本を買うんですけど、その中でも更に、ひとつの事実に気づいて、ここ何年かはその制約があります。それは、僕は、ハードカバーはほぼ二度と読み返さない(身近なパートナーになれない)ということ。

僕にとって体の一部と思えるような本の理想形は、文庫本、のようです。

この事は結構共感出来るという人も多いと思います。文庫本は、どんなシチュエーションでも読めますし、何らストレスなく外に持ち歩けます。また、大きさだけでなくあの柔らかさが重要で、体の一部になるというか、本を持ってページをめくる事にも何の労力を払う必要もありません。100%本と一体になって、その分全てのエネルギーを内容に没入出来ます。

文庫本が出ないような作家さんは仕方ないのでその限りではありませんが、村上春樹なんて絶対文庫本が出るので、僕は彼についてはいつしか文庫本が出るまで買わなくなりました。

そんななので、なおの事、新刊を読むのは何年か後、となりますから、熱心なファン、というのも違うのかな、という感じです。



実は、話が冒頭から本質的には都合2つの入れ子構造で、逸れていますので、更に戻します。1Q82。久しぶりの村上さんの長編小説。その感想を書く事が本エントリーの趣旨です。


この10年とか、長い期間に、僕は村上さんのエッセイやインタビュー的なもの、様々な出版物を通じて、彼のパーソナルや表現メソッドをかなり詳しく知るに至っています。

その事がどういう影響をもたらすか。また、彼自身が、年をとっていく中で、どんな風に表現が変わっているのか。


<以下感想です。ちなみに文庫本の1,2しか読んでません。6まで続くんですよね。>

果たして、どちらも、ふんだんに、関係がありました。

まず、彼自身が、登場人物に自分を乗っ取られる事なく、暴走せずに自分の意識が完全にある中で物語を描画しているという事。

次に、僕が彼の事というかキャラクターを(たぶん)知り過ぎてしまっていて、全ての登場人物に、彼を、ノンフィクションの彼のキャラクターを感じてしまう、という事。

イメージで言うと、あの、可愛らしい男爵いもみたいな村上さんが、1つには柔道をやっていた小説家の格好をし、1つには胸の形のきれいな美少女の格好をし、人には言えない事をしているジムの美人インストラクターの格好をし…。

もう、彼の小説には、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの頃の様に、純粋にのめり込む事は出来ないようです。彼の事を知り過ぎてしまったんだ。楽しくないという事ではありません。とても素晴らしいストーリーと思うし、楽しいです。

でも、こんな人はいない、と全登場人物に思います。そして、美少女でも、腕利き編集者でも、第一線から退いた初老でも何でもなく、単にあんた(村上さん)だよコレ(全キャスト村上さん)、と。

それは多分、年老いた村上さんの、昔とは違う気負わなさ(筆を気取らずに素を出す感じ)のせいで、また、僕の彼に対する経験値の為に、彼の小説でなく、そこに現れている彼自身のパーソナリティーの方にシンクロしてしまい易いせいです。

でも、そういった形で、しかもこんなにレベルの高い小説を、楽しむなんて、これはもう村上さんのものだけだという事は間違いありません。

楽しいです。こんな登場人物と物語を描ける村上さんを尊敬していますし、大好きではあります。

今月末の次巻刊行も楽しみです。


→ 1Q84公式サイト
書き忘れてました。補足です。

人の小説をどう読もうが、それは勿論自由です。買った自転車をどんな用途に使おうが自由なのと同じです。

でも、村上春樹さんの場合、俳句を詠む人の様に、ワンフレーズワンフレーズに大きくて重要な世界がある人で、長編だろうと短編だろうと、それらの集積だと僕は思います。

つまり、「長編だからと言って、どんどんセンテンスを消費する様な、(例えば単に)ストーリーだけ急いで追おうとする人」は、勿体ないというか、例えば、素敵なフランス料理屋さん(別に定食屋でもいいけど)に行って、1つ1つの食材をあまり味わわずに、急いでガツガツと平らげようとする人、という感じで、いちばん良い部分をきちんと味わえないように思います。

読み終わろうとせずに、ゆっくりとワンセンテンスずつ意図的に読むようにすると、その本来の言葉とドラマの温度を持って、ストーリーも対峙してくれると思います。
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2012/04/12 | お気に入り…こと | コメント:0 | トラックバック:0____
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