さようならNIFTY-Serve (と、ポートピアランド)
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さよなら「パソコン通信」、最後のサービスが19年の歴史に幕

 ニフティ(古河建純代表取締役社長)は、3月31日の23時59分59秒をもって「ワープロ・パソコン通信」(パソコン通信)の全サービスを終了する。これで国内に唯一残っていたプロバイダーによるパソコン通信サービスが消えることになる。

 パソコン通信とは、電話回線経由で直接ホストコンピュータに接続し、文字情報のやり取りを行うもの。同社は「NIFTY-Serve(ニフティー・サーブ)」の名称で87年4月15日にサービスを開始。86年にサービスを始めたNECの「PC-VAN(ピーシー・バン)」とともにパソコン通信の2大ホストとして多くの利用者を集め一時代を築いた。90年台後半以降、インターネットが普及するにしたがって競合各社が次々とサービスを終了させていく中、唯一ニフティだけがパソコン通信サービスを継続し続けていた。

 しかし多くの利用者がWeb上のサービス@niftyに移行し、ユーザーが2万人程度にまで減少したため05年2月、同社は06年3月一杯でパソコン通信サービスの終了を決定。その後、フォーラムや掲示板などのコミュニティーサービスを徐々にWebのサービスに移行させ、パソコン通信上では主なサービスが05年3月で終了した。古河建純社長は「サービスを支えていただいた皆さまのご意見やご支援があったからこそ当社の成長があったと、心より感謝しております。今後とも皆さまにご満足いただけるよう努力して参りますので、引き続きご支援いただけますよう、よろしくお願い申し上げます」と同社サイトにコメントを掲載した。

 そして今回、わずかに残っていた「FAX配信」「音声メールサービス」、専用アクセスツールの「NIFTY MANAGER」、インターネットからのゲートウェイの「インターウェイ」の各サービスが停止。また専用アクセスポイントの「ROAD 2代替アクセスポイント」「ROAD 7アクセスポイント」やtelnet接続も廃止となり、パソコン通信サービスが完全に終了する。今後同社のサービスはすべてWeb上の@niftyで展開していく。

 同社では「パソコン通信上で展開していたフォーラムのうち9割以上はWebに移行した」(広報部)としながらも、パソコン通信上で交わされていたコミュニティサービスの書き込みに関しては「残さない」方針を明らかにしており、蓄積の破棄を惜しむ声も聞かれる。

 87年のサービス開始当初から在籍している社員は「新しい社員にとっては、もはやパソコン通信が何なのかもわからないだろう。そのためかサービス終了を目前にしても社内はいたって平穏だ。しかしさすがに感慨深い。サービス開始当初、本当にアクセスしてくれるのか不安で一杯だったが、モデムに灯ったアクセスランプを見て皆で大喜びしたのを今でもよくおぼえている。ほんとうにいろんなことがあった」と19年を振り返った。

 なお、これにあわせ同社は旧ドメインの「niftyserve.or.jp」を5月31日で廃止する。メールアドレスのドメインに、まだ「niftyserve.or.jp」を使っているユーザーに対し、新ドメイン名「nifty.com」に変更するよう呼びかけている。


さよならポートピアランド 来園2000万人の思い包み

 神戸ポートピアランド(神戸市中央区)が31日で25年の歴史に幕を下ろす。開園以来延べ2000万人を超えた来園者や、1990年代初めに大ブームとなった「絶叫マシン」の運行を支えた裏方…。多くの人たちの思いを包み込んだ夢の空間だった。

 開催中の「25年のあゆみ展」の一角に、来園者が書いた絵馬が並ぶ。「遊園地はドキドキする飛びっ切りの場所でした」「ヨメさんと初めて会った場所でした。そんなわたしも2児の父(16年前の話)」。絵馬は2000枚に迫る勢いだ。

 兵庫県姫路市の夫妻は14日、閉園が近いと聞き、足を運んだ。手作り弁当には鶏の空揚げにミートボール、だし巻き卵も。15年前の初デートと同じメニューという。絵馬には「いつ来ても楽しい。幸せです」と書いた。来園は5回目だ。

 「新しい海の文化都市創造」がテーマだった神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア81)には約1600万人が来場。パンダや、ゴダイゴのテーマソングも人気を後押しした。博覧会閉会後の81年10月、開園した。

 最新型の「絶叫マシン」を次々に投入し、ピークの91年度には163万人が来園。「ヤングアダルト」と言われた10―20歳代の人気スポットになった。

 転機は突然訪れた。95年の阪神大震災。3カ月の休園後、来園者は激減し、晴れた休日でも園内が閑散とする時期が続いた。98年の回転式ジェットコースター追突事故も追い打ちをかけた。

 「今思い出しても身の毛がよだつ。二度と事故は起こさない、と全員が誓いを新たにした」。当時、コースターの運行管理者だった松本悟(まつもと・さとる)マネジャー(59)は振り返る。

 25年間回り続け、延べ1000万人以上を乗せた観覧車「ジャイアントホイール」。震災の仮設住宅も見下ろした。整備担当の中山公一(なかやま・こういち)さん(31)は「おじいさん観覧車。たまに機嫌を損ねてギシギシ言うけど、よく頑張ってきた」と、塗装がはげた操作盤をなでた。

 8つのアトラクション施設は閉園後、海外に移され、再び活躍する。

 閉園は31日午後5時半。スタッフ75人の合言葉は「最後は笑って終わろう」だ。

≪ポートピアランドの歩み≫
 1981年3―9月 神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア81)に約1600万人が来場
 81年10月1日 神戸ポートピアランドが開園
 83年4―84月3日 来園者が100万人突破
 95年1月17日 阪神大震災により休園に
 4月26日 営業再開
 98年4月 ジェットコースターが無人のコースターに追突。22人けが
 2002年4月 阪急電鉄が事業撤退表明
 06年3月31日 閉園


■■
ニフティーサーブ。インターネットがまだ単に写真と文字の情報を表示する為だけの場所で、コミュニケーションツールでは全然なかった頃の、絶対的なコミュニケーションサービスが、このニフティサーブだった。
画面は、今のメルマガみたいな感じというか全て文字だけ。操作も、マウス(クリック)という概念なんてなく、キーボードのみで“コマンド”という、英単語みたいのを打ち込んで次の画面やサービスを表示するという、今では考えられない原始的なインターフェースだった。
それでも、モニター上で、文字でリアルに人とやりとりするなんてスゴイ!というかつてないメディアと経験に、緊張したり、ワクワクしたりしたもんだ。ニフティのユーザーIDを持ってるってことが、ちょっと嬉しかったりしたもんだ。だって今でも覚えてる。jag0627…て。
今でも続けてたのがちょっと驚きだけど、さすがニフティという感じだ。お疲れ様でした。敬意を表します。

ポートピアランド。 おれは遊園地の三半規管系玩具(ジェットコースターとか)が天敵というか、半端なく苦手なので、彼(ランド)も当然、その存在自体が天敵だったけど、高校生の時とかの甘~い(スピードワゴン?)想い出が当然詰まっていて、なんだかやっぱり寂しい感じがするよ。今日の閉館を知って、ぐわーといろいろ思い出した。甘酸っぱいね。でもこちらはニフティの様に敬意を表す感じはないかも。ダラダラやってただけだもんね。

3月の最終日というのは、こうやって店たたむ日なんだね@大企業バックの場合。

さようなら。想い出のNIFTY-Serveとポートピアランド。
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2006/03/31 | from Yahoo!トピックス | コメント:0 | トラックバック:0____
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